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| ◆ 駐在員生活の思い出/毎日が出勤地獄
ホテルの部屋(13階)から下界を見下ろすとヤシの木が強風にあおられてほぼ真横になっていた。
周辺一帯は停電が続き、発電機のあるホテルは食事をとりにくる住民であふれていた… 11月15日、フィリピンのウォール街と言われるマカティ地区のレガスピ通りとパセオ・デ・ロハスの角にあるパイオニアハウスをレンタルし事務所移転。
11月29日、部屋のエアコン取り付けなどバタバタしながらダスマリナスビレッジの家に引っ越し。 以前バングラデシュの外交官に貸していたとかで部屋が非常に汚れていて、借主負担で内装工事と清掃を大々的にやらねばならなかった。(下掲写真↓)
住み込みのメイドを2人雇用。
下の写真は、マカティにあるゲート付き高級住宅地、ダスマリナスビレッジ。
マニラは今も昔も「世界で最も移動に時間がかかる都市」で毎日が出勤地獄。 12月1日からODD-EVEM SCHEME開始。 曜日によってナンバープレート末尾が奇数の車だけ、偶数ナンバーの車だけが市内に入れるというものだが、焼け石に水でかえって混乱が広がっただけだった。 12月7日、状況報告のため日本に出張帰国。 VISAの手続で日本大使館に行くと、日本で結婚するとかでVISAの申請をする女性で溢れ、マニラ-成田便は日本人男性(やくざっぽい感じが多かったような・・・)とフィリピン女性のカップル客が多かった。
本社で打ち合わせするとタイで不祥事があり、海外事務職の大移動を検討中との話があった。 タイ現地法人の事務職が会社の預金を使い込み、預金の残高証明を偽造していたのが発覚したとか
その社員を懲戒免職して、代わりにジャカルタに赴任したばかりの事務職(ぼくの同期でケニア駐在経験あり)をバンコックに回し、ジャカルタを経験者のぼくに担当してほしいというもの。マニラにはアメリカ現地法人の清算作業を終えたばかりの社員が赴任することに。 12月17日、マニラ帰還。所長はこの決定に不満たらたらだったが、国際支店建築部長がなんとか説得してしぶしぶながらも了承してくれた。 12月22日、ダスマリナスの宿舎でクリスマスパーティー。1時30分までカラオケ。 当時のマニラは町中クリスマスのデコレーションですごい盛り上がりようだった。
さすが東南アジア最大のカトリック国でこれまで見たどの国のクリスマスより盛り上がっていた。
12月29日、今月2度目の帰国。 12月31日、車で帰福。 長女は高校受験のため晴海のホテル浦島に1月3日まで塾の合宿のため不参加だった。
ホテル浦島には、晴海国際見本市でコミックマーケット(1981年12月20日~1995年12月29-30日)が開催される時は、参加者が多く宿泊していた。 海側の部屋で自殺が多発したことから、心霊スポットとしての悪名も広がっていたとか。 #237送ります。 明日23日から二本松、岳温泉で一族16人集合して恒例の夏合宿(今年で最後になるかも・・・) 24日、福島で墓参りから25日はコートダジュールのカラオケ飲み会と忙しくも楽しいイベント続き。
(2026.8.23up)
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